第一章 ~虚脱から若者へ~ (2)




 帰郷して、二、三日したときの夕飯時だった。
 「孝夫も帰ってきたし、長崎へ行こう」
 箸を置いて、自分を励ますように父が口をきった。
 母は、孝夫の妹の幸代(さちよ)の顔をそれとなく見て、お茶を一口飲んで
 「今度の落下傘爆弾で焦げたところは何年たっても草木も生えんとゲナ!」と、父を見て言った。
 幸代が肥えた大きな体をすぼめるようにして、日焼けしたふっくら顔を怖ろしそうにこわばらせた。
 「まだ行くとは早かよ。お父さん、お母さんの言うとはほんとよ。今でも次々に死によらすとバイ。町に行って、悪かもんでも吸いこんだら、ドギャンするとね……目に見えんもんのあるとかもしれんタイね。おそろしか、兄さん。ほんとにおそろしかとバイ!」
 長崎の女学校を卒業してすぐ村役場に勤めている幸代は、当時、役場の隣の小学校がピカ・ドンの被災者の避難所になっていて、その受付をして悲惨な様子を目の前にしているだけに恐怖がよみがえってきたように顔をひきつらせている。
 「そぎゃん、恐ろしがってばかりいても、行くことの出来んタイ。もう、落ちてから一カ月近うもたっとるバイ」
 父は、父の兄や姉のことが心配で、居ても立ってもいられない顔で幸代の顔を拝むように見つめていた。
 幸代はなお反対する目の色を浮かべていたが、
 「どうしても行くとなら、ウチの言うことば守らんならだめよ。ゼッタイよ!」と、険しい目で見つめ強い口調で言った。
 父も母も孝夫もその剣幕にたじろぎ深くうなずいた。
 実は幸代の言ったことは正しかった。
 長崎に行った翌々日から、父は軽いピカ・ドンの病にかかったのか、二週間も下痢がつづき寝込んだのである。
 「街の中では暑くても帽子や頭巾を取らないこと」
 「長崎の水を飲んだらダメ!」
 「手袋をすること。その手袋は捨ててくること」
 「ゴミのするところではマスクをすること。これも捨ててくること」
 「灰や土を掘り返さないこと」
 「食事はゴミのしないところでとること」
 「ウガイをうちの水で何回でもしてください」
 「終わったら早く帰ってください」
 幸代は役場に勤めているだけに細々とした注意をするので三人はだんだん怖気づいてきた。

 「浦上(うらかみ)の付近が一番ひどかったと聞くケン、駄目だったろうとは思うバッテンが、岩吉兄さんやマツ姉さんがドギャンしとらすか、見にゆくだけデンせんことには……」
 父はひどく心配そうに母を見て言った。
 母は「ほんになぁ。知らせも何もなかところを見れば……じゃぁ、明日、朝からいきましょうかナ」と、決心したように父にうなづいた。
 その岩吉おじさんの家は電車通りにあるので孝夫もちょいちょい何度も行ったことがあった。
 マツおばさんの家は浦上川を渡って式見(しきみ)という外海(そとみ)に山越えする谷にいかなければならないのであまり行ったことはなかった。


 その翌日、母は幸代の言ったことを守って、水やお茶の入った水筒を三つ用意し、そのひとつずつを二人に持たせ、自分は、肌着、包帯、線香、ローソク、マッチ、新聞紙、紙袋、マスクがないので代わりに手拭も別に三つなどを風呂敷に包み、ぶら下げた。
 孝夫は、母が朝早くから作ったオハギの入った重箱の風呂敷と一斗の米の袋を振り分けにして持った。
 父は幸代が役場に行ったので唐鍬(とうが)を持ち、母は小さなスコップを持っていた。
 三人は、手拭を腰にぶら下げ裏山伝いの小道を歩いて行った。
 峠を越したころから太陽がじりじり照りつけた。道のわきの茂った木の影を拾うようにして進んだ。

 一時間ばかりしたときに丘の上に差し掛かった。
 「うわぁ!」
 先頭にいた孝夫が魂をゆさぶられるような驚きの声を放った。
 「うわぁ! こりゃ!」
 三人は呆然と立ち尽くしていた。
 浦上を取り巻く山々は焼けただれ、町並みは見渡す限りすべて灰となって道路が灰の街を区切っているだけであった。
 三菱の大橋工場は、鉄骨が飴のようにへし曲り、ポンポンに透けて見えた。
 その前にあったはずのJ女学校も灰になっていた。
 煉瓦の色に聳えていた浦上天主堂は瓦礫の山になっている。
 「ひどか!」
 「ひどかナ!」
 三人は何度も繰り返し叫び、指さしては顔を見合わせた。

 街の中に入るために、手拭でマスクのように顔を覆い、目だけ光らせて疲れを忘れて岩吉伯父さんの家に急いだ。
 孝夫が小学六年まで住んでいた岩川町全体が灰の街になっている。
 父は灰の町に残っている道をたどって昔建っていた我が家の前まで来て、していた手拭の鉢巻きを取り、深く腰を折って頭を下げていた。
 父の目からはあふれ出た涙が滴り落ちていた。

 近くの大通りを越したところにあった親友の光武君の大きな家も、炊事場のレンガが灰の中に黒ずんで見えただけだった。
 横倒しになった馬が腐り、(うじ)が目のくぼみにたかり、銀バエが音をたてて舞っていた。
 馬ばかりでなく、ひょっとしたらまだ人間のも混じったような異様な腐臭が辺りにこもり、手拭のマスクを通してくるので吐き気がする。
 岩吉伯父さんの二階家は、銭座(ぜんざ)町に曲がる井樋の口(いびのくち)にあった。

 「ここだよナ?」
 父が家の横に石柱がたっていたのを思い出し、倒れて灰に埋まっていたのを、唐鍬で引き起こしながら言うのを「まちがいなか、この石ですバイ」と、母がスコップの先でギシギシ音を立ててこすった。身内や市役所などからの連絡先や避難先を知らせる立札はここには立っていなかった。
 爆心から直線の正面に位置している。岩川町と同じで一瞬のうちに灰になったのだろう。

 母が経文を唱えながら、布袋から線香とローソクを出し、マッチを擦って火をつけ、オハギを三つ出して新聞紙の上に乗せた。
 三人はあらためてしゃがみ、手を合わせ「南無……」と、口をあわせて唱え、一心におじさんおばさん照子さんに祈りを捧げた。
 孝夫は岩吉おじさんの養女の照子さんのきりっとした顔を思い出していた。
村松(むらまつ)村の田舎の縁戚から来ていた照子さんは田舎から来ていたにしては珍しく色が透き通るように白い女学生だった。
 夏休みなどには、三日でも四日でも孝夫の家で遊んで帰っていたものだ。
 「照子さんは、孝夫兄さんのお嫁さんになりたいて、いいよったのになぁ」
 母が言うと父はうなずきながら、また、手を合せて拝んだ。
 そこらの灰を、いくら探しても骨の一かけらも見つからなかった。
 仕方がないので父が、遺骨の代わりに少しの灰と土をすくって、母が出した紙袋に入れ、新聞紙で幾重にも包み、布袋に入れた。
 孝夫は、照子さんとの思い出を心の奥にしまいこむように目をしばたかせて、しばらくの間、母の布袋をじっと見つめ黙然と立っていた。

 それからマツおばさんの家に急ぐことになった。
 浦上川の橋を渡り、城山の下を通って、一キロばかり先の油木(あぶらき)町の高台にあったはずのマツおばさんの家を見上げた。
 しかし、ここも、どす黒く焼けた木の根が頂上まで続いているだけであった。
 附近を見回すと、焼けて褐色になったトタンで、キャンプのように張り合わせた小屋があっちこっちに建っていた。
 三人は手分けして探しまわった。
 「ここバイ!」
 母の声に行ってみると、おばさんは、防空壕の中に焼け残っていたらしい布団をやはり褐色のトタンの上に敷いてもらい、むくれて膨れた青白い顔をのぞかせて寝ていた。
 長女の喜美子さんは外海村に嫁いでいて無事だったので、翌日から来て介抱しているという。
 長男の常男さんも、浜の町に出かけていて助かった。
 しかし、常男さんは妹の奈津恵さんが救援列車で大村に送られているとかで家にいなかった。

 母は孝夫が担いで行った米を焼けたバケツにざらざらと移し「どうぞ」と、喜美子さんの前に押しやった。
 そして、重箱の蓋を開けて
 「さあ、姉さん、一緒に……」と、言いかけて、喜美子さんを見て「お(かゆ)さん……」と、口を閉じ、蓋を閉めた。
 喜美子さんはバケツの米を押しいただき、手のひら一杯の米を土鍋に入れてとぎ、薪に火をつけた。

 父が「遅くなるぞ」と、言うのをきっかけにして、母がまた重箱の蓋を開け「ほらほら、喜美子さんも一緒に……」と言って、そこにあった茶碗を持っていった水筒の水で洗い、お茶を入れて新聞紙の上に乗せた。
 小屋はおばさんが寝ているので座るところもなく四人は外でオハギを食べた。
 おばさんは細い声で「おいしそうね」と、言っただけで、父が勧めても、咽喉(のど)()れているらしく手を出さなかった。

 マツおばさんの死の知らせが届いたのは、一週間の後であった。
 大村に送られていた奈津恵さんは、一ヶ月後に常男さんが亡くなったことを知らせに来てくれた。

 孝夫は、長崎に行ってはじめて、ピカ・ドンの恐怖と悲惨さを知り、大きな衝撃を受けた。

 幸代の話では、ただ一発のピカ・ドンで二万人が即死し、まだ次々に亡くなっているから、この後、何万人が死んでいくかわからないという。

 孝夫は戦争のむごたらしい現実を胸に刻み込まされていた。



<< 第一章 (1)小説表紙第一章 (3)>>
inserted by FC2 system