第一章 ~虚脱から若者へ~ (3)




 八月十五日のポッダム宣言の受諾で敗戦し、孝夫たちはみじめな姿で帰ってきた。

 この敗戦は、日本人の一人一人に立ち上がれぬほどの大きな衝撃を与えていた。
 特に、純真な青年たちは、祖国を守るという大義名分で狩り出され、戦って屍となることが、最高の名誉と洗脳され、信じ込まされてきたのである。
 だから、戦場から故郷に帰ってはきたものの、いきなり海原に投げ出された人間のように、考える力を失い、どこに泳ぎ始めればよいのか分からず、孤独に空虚な自分を見つめてさまよっていたのである。
 青年たちの空白な心を埋めてくれるものは長く見つからなかった。
 孝夫も、どうしたらよいのか分からず、希望を失い、虚脱した毎日を送っていた。

 九月二七日。天皇がマッカーサー連合国総司令官を訪問された。
 自信にあふれた将軍、そして天皇。
 敗戦国日本の姿が浮き彫りにされていた。

 田舎は忙しい!
 十月に入ると稲刈りが始まる。
 若い働き手を待っていたのだ!
 稲刈りが何日も続いた。孝夫は汗を流しているうちに、魂が生き返ってくるように思えた。
 百舌鳥(もず)のキィーという鋭い鳴き声に、刈り手を休めて鳥の姿をもとめて目をやると、小川の向こうの斜面にある栗林が実を落としかけたように葉を黄色に染めていた。
稲刈りが終われば、引き続き稲こぎである。
 彼の家の稲こぎ機械は足踏み式であった。足で踏んで回すと勢いよく音を立てて回りだす。これに、一掴みの乾いた稲先を、そろりと乗せると(もみ)が弾き飛ばされる。
 彼はいつのまにか百姓仕事に打ち込んでいた。
 大して広くもない田んぼでも、やり始めるときりがない。

 この村は山に囲まれた鍋のような寒村である。鍋底を流れるのが長瀬川で、その枝がそれぞれの谷川になり、谷川に沿って小さな部落がへばりついている。その部落を二つ三つ合わせたのが(ごう)で、八つの郷がこの村を作っている。
 そして、郷に一つずつ青年団が作られていた。
 江戸時代には、大村藩に属していて、青年団の前身を若者組(わかもんぐみ)とか()っかもん宿といったそうである。まあ、男としての訓練所というか、会合場所みたいなものだった。
 今年の九月、文部省の通達で、民主的、自主的な青年の育成という呼びかけに応じて、各町村に青年団が結成されたのである。
 新たに作られた青年団は、郷の青年たちの自治組織であり、郷の百姓たちの後継者の育成の場でもあった。
 孝夫の住む南川内と小山ひとつ越した北川内が丸木郷青年団である。
 部落の境になっている小山の石段を登っていった神社の、絵馬などの額のある二十畳ぐらいの畳の部屋で、丸木郷の青年たち十五、六人の会合が月に二回開かれた。
 月に一回は男女別という規則であったが、いつの間にか毎回一緒にやるようになってしまった。一緒の方が晴れがましく気負った気分が満ちてくるのだ。顔をほてらせながら意見を出し合っている雰囲気は捨てがたいものである。
 考えてみると、若い男と女が話のできるチャンスも交際する場所も、この田舎にはどこにもなかったのだ。

 その日の司会を置いての正式の会合は早く終わったのだが、みんなはおしゃべりに長尻になって帰り始めたのは夜中に近かった。
 雑木林の中の七十ばかりの不揃いな石段を下りて、堤の淀んだ水面を月があわく照らしているそばに来ると、虫の鳴き声が耳を(ろう)するばかりに激しかった。
 「おい、森村君! 山の際の山田さんは来とらんじゃったね」
 三年先輩の中川源吉さんが孝夫に声をかけた。
 彼は元戦車隊の伍長だったとかで、北川内に住む肩幅の広いがっしりしたやや長身のきりっとした男で丸木青年団の幹部だった。
 「はい、欠席でした」
 孝夫と同じ南川内の十七、八の山田京子の日焼けした顔とつぶらな黒い瞳が、ちらと孝夫の頭に浮かんだ。彼女の笑顔は八重歯がのぞいて魅力的だった。
 そこに、中川さんの近所の谷山君と川島君が寄ってきた。彼らはまだ二十歳には手が届かない青年だった。
 二人を見て中川さんが
 「じゃ行くか」と、言った。
 「はい、何か用意していかんば、では……」
 孝夫には彼らの会話が何の意味か分からなかった。
 「うん、そうだな、その辺の木ば切って木刀にして持ってこいよ」
 「森村君もついてこい。おまえは何も持たんでよかろう」
 「はい」
 孝夫には、木刀という言葉で、何か事件に巻き込まれるんじゃないかという予感がしたが、見当がつかないままついていくことした。
 中川さんは懐中電灯を持って先に立ち、山の小道を登り始め、歩きながら部落の昔を懐かしむように語り始めた。
 「おれがな、高等科ば卒業した年じゃった。今の団長が来て、若もん宿に入れ、と、言わすもんじゃケン、入ったとバイ」
 道は落ち葉が坂のくぼみに溜まり、つるりと滑ったりしたが、さすがに中川さんは軍隊で鍛えた足で息も乱さずゆっくりと歩いて行く。
 「そんころは、北川内の部落の者ばかりじゃったタイ。今のごと、女子はおらんじゃった。今の神社に泊まってさ、男の訓練ば受けたわけタイ」
 「どんな訓練でした?」
 すかさず川島が後ろから聞く。
 「百姓の仕事の基礎ちゅうか、夜ナベ仕事タイな、(なわ)のない方とか、草履(ぞうり)の作り方、今どきは履くもんはおらんバッテン、ワラジの作り方、それに(つな)の結び方なんかタイ。ところで川島君は草履ば作りうるナ」
 「いいえ……もう誰も履きませんから」
 「うん、うん。……最初のうちはだいぶ、きたわれたバイ。バッテン、近所のもんばかりじゃケン、いろいろ喋ったりして、先輩のスケベ話ば聞かされたもんタイ、女子と交際するときのエケチットの詳しか話もナ。結構(けっこう)面白かったバイ、ハハハハハハ」
 彼は当時の誰彼を思い出している風であった。
 「エケチットですか、今はエチケットと言いよりますが。何かほかにしたことのあるとですか?」
 「今のお前たちのごと、夜バイに連れていってもろたり、お(くん)()の太鼓の打ち方ば習うたり、草履ば売ってナ、橋の壊れたとば、作りかえたりしたこともあったナー」
 「夜バイはそんころからですか?」
 「バカ言うなよ、おれたちの知らん、ずっと昔からあったとバイ。大昔の神武天皇さんよりまだ前からあったちゅうぞ」
 大人たちが、ところによっては未婚の男女に手を取り足を取って、交わり方、処置の方法などを具体的に教えたところもあり、立派に一人前に成人させていた村もあったという。
 「それから」
 「どうせ、兵隊にとられるとならとおもぅて陸軍に志願したとバッテン……アンころは男ばかりじゃったバッテン結構面白かったぞ。今は青年団じゃもんナ。なんでんかんでん、さあ、男女平等、民主主義、自由主義、自主的、ああ、もう聞きあきたバイ。ハハハハ」
 彼は話を打ち切るように高らかに笑い、道を急ぎ始めた。
 孝夫が住む南川内の谷に差し掛かった。
 こんな上の方に、北川内の谷から通ずる道があったのかと孝夫はいぶかった。
 下弦の月に照らされて野岳の巨岩が見え隠れする。

 「だれかいるぞ。シー」
 中川さんが灯を消した。
 四人は中川さんの周りにしゃがんだ。
 そこは山が崩れて少し広くなっていた。
 すかし見ると、二人の青年が、上の方を指さしながら話しこんでいるようだ。落ち葉を踏む足音がしている。
 「畜生、あそこをねらってやがる」
 あそことは山田京子の家のことだろう。
 「上川部落の青年団のやつだ」と、小声で言うと、中川さんが急に立ち上がった。
 「コラ! 貴様ら!丸木まで来んば、オナゴのおらんとか!」
 声は軍隊で鍛え抜かれているだけに、山の闇が裂けるように太かった。
 二人はびっくりして、声のする方には目もくれず
 「わあぁ! にげろ!逃げろ!」と、上川部落に通ずる道の雑木林の暗闇めがけて走って消えた。
 「ハハハハハハ。これでよしと!」
 中川さんは逃げた闇を見ながら言うと
 「お前たちは、山田さんの角の石垣で待つとれや」と、三人に命じた。
 中川さんが足音を忍ばせて庭に入っていくのが薄明かりの中に見えていた。
 三人は石垣に着くと、その石垣に寄りかかって待つことにした。
 すだく秋虫の声に耳を傾けていると、やはり鈴虫の声が何か秋らしく可憐に聞こえた。
 孝夫には、京子の存在は、ちょっと挨拶するほどの同じ部落の女性にすぎないが、中川さんにとっては大事な人に違いない。それにしても彼女はぐっすりもう寝込んでいるだろうにと思った。
 「コラ!このドラ猫が!」
 どなり声が聞こえたかと思うと、疾風のように駆け降りてきた中川さんが「に、にげろ!」と、叫んだ。谷山と川島は、うろたえながら中川さんの後ろから、もときた山の小道へ逃げて行った。
 孝夫は妙に冷静に構えて、まだ石垣に寄りかかって隠れていた。
 彼は怒鳴(どな)り声の方に目をやり観察していたのだ。
 見ていると、怒鳴った親は何事もなかったように、石垣の方にちょっと目をやっただけで、あとはゆっくり下駄の音をさせて戸口に向かい戸口を閉めて行ってしまったのである。
 親が孝夫を見たのかどうかは分からなかった。
 そのあとすぐ彼らの後を追いかけ峠についてみると三人は山道にへたり込んでいた。
 「危なかった。フー フー」
 「どうしたんですか?」
 「……そのうちはなしてやるよ……」と、苦笑いしている。
 孝夫は遠回りになったが、彼らと北川内に出て神社の下の堤のそばの小道で別れて、独り暗い道を帰ってきた。
 孝夫は夜バイについて行ったことで三人の心に通い合うものができたようにうれしい気持ちがこみ上げてきた。



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