第三章 ~青年団の人々と飢餓~ (2)
今年に入って益々インフレは過酷になってきたし、飢餓死一千万人を予想する人たちが現れると身震いする衝撃を受けた。
白米一升(一、五キロ)の基準価格が五三銭であるのに、ヤミ値段が七〇円で百三十倍。さつま芋一貫(三、七五キロ)が一円二〇銭に対し五〇円。卵が一円八二銭が二二円などヤミが横行し、金の価値は下がるばかりで、金をいくら積んでも物が買えない凄いインフレーションになっていた。だから物と物とを交換するしか、必要なものが手に入らないのである。
その上、去年は天候不順や台風なども重なり肥料不足で地力が低下したこともあって、稲は明治以来の不作であった。
日本の米は平年でも絶対量が不足するのに、この不作では、今年の食糧難は誰が考えても避けがたいものであった。
配給を受けている家の奥さんが、タンスの底から、なけなしの衣類を持ってきて渡し、百姓に土下座して食料をいただくやるせない風景が、この村でも当たり前のようにあちこちで見られた。
そんな衣類のない家ではお粥を
啜る毎日で、青白い頬骨がつき出るほどに痩せ衰え、うろうろとあさり歩く姿は幽鬼を思わせた。
栄養失調に倒れ、なかには自殺する人も出始めた。強制的な供出令が出ても、去年の不作で米がなく、農家でさえ、八、九月の端境期には一粒の米も残ってない所さえあった。
孝夫のところでも母が「米の一月分足らんよ」と、嘆息するのに「芋でも食うさ」と、父が励ましているのが聞かれた。去年は三割も減収なのに、供出米を出し小作料米を出せば足りるはずがなかった。去年の十月末にマッカーサー(GHQ)に要請した穀物三〇〇万トンその他の合計四三五万トンの食糧緊急輸入は、わずか六〇万トンしかなく、数県分をしばらく潤しただけで終わった。
家庭では供出米は集まらず、緊急輸入はわずかで当然、配給は遅欠配するし、頼みの綱の衣類ももうないから、どうすることもできなかった。
一千万人が飢え死にすることは、噂ではなく、本当に迫りつつあったのだ。
佳子の家も例外ではなかった。
おばさんは、農家に加勢に行って色々なものは貰えるが、仕事が毎日あるわけでもなく、ババさんがどうかあったり、雨がひどかったり、農閑期に入ったりすれば、たちまち、飢えが押し寄せてくる。そのうえ、配給のときは現金がいるのに、この田舎では現金収入の道は閉ざされている。
働こうにも働く場所がないのだ。
おばさんの苦悩は、底知れぬものがあった。
農家にとって田植えほど大事なことはない。だからどんなに困っても
種籾だけには手をつけない。
田植えには一家は勿論近所や親しくしている人なども呼んで総力をあげてなるべく一日で終わるようにしている。
家の者は前々日ぐらいから、苗代田から苗を取って、ふた握りほどずつ
藁で結んで用意しておく。また、前日までに水を入れた田を牛にひかせて
鋤で起こし
均しておく。当日になれば、苗を運ぶ者、土を平らに均す者、紐で線を引く者、苗を尺竹に沿って植える者などそれぞれが分担して仕事にかかる。
苗は畦に適当な数を並べて置く。田の広さによって置くのだが、案外過不足なく並べて置いている場合が多いからびっくりする。苗運びが終わったら並べて置かれた苗を田植えしているそばに落ちるように、びゅんと投げてやる。泥田の中に落ちるのだから、ぴちゃんと勢いよく泥水を跳ねる。苗挿しは女の人が尻をひっぱってしているので、すぐ傍に落ちると「大事なところに入った!」と、頓狂に叫んで大騒ぎしたりして、結構楽しいものだ。尺竹に女たちが二、三人並んで苗挿しをするのだが、孝夫のように下手くそがすると一つ二つ苦心する間に女たちが彼の分までさっと手を伸ばして神業のような速さで挿してしまう。慣れない者は腰が
疼きだす。疼きだすと腰を伸ばして立ち上がる。立ちんぼの案山子が始まりだす。
女たちはサナポリの用意のために早めに田を引き上げる。
最後は南川内川の流れで、泥田んこになった顔や野良着をざあざあと洗い、道具も洗って家に引き上げる。
近所や加勢人の七人とおばさんと佳子と一家の総勢十三人で田植えの打ち上げのサナポリが始まる。
大きな魚などを買って酒の刺身を作ったり、皮クジラやじゃが芋、竹の子、南瓜などの煮しめ、キュウリ、湯で塩鯖、椎茸、卵の入ったお澄ましなどがお膳に並びこのサナポリだけは白ご飯がたっぷり食べられる。
「今年は皆さんのおかげで早ようすんで、ほんなコテよかったバナ」と、父が頭を下げ、田植えの祝いは日が暮れても続いていた。
田には一面に水が張られ、月の光に映えるなかに、挿されたばかりの苗が、谷を渡るそよ風にゆらいでいる。
蛙たちが田植えの邪魔にされて隣の田に移り棲んで騒ぎたてている。飯の済んだ孝夫と幸代と佳子が柿の大樹に寄りかかって話をしていた。
「幸代姉さん、うちも大学に行きたい」
「そりゃ、あんたは頭いいし一発よ」
「うち、何時、学校に戻れるか分かりません。卒業しないと受けられないし……」
「学校は建つみたいよ。浦上の学生がそう言ってたよ」
「もう、二年も休んでるし……」
「二年遅れようが三年遅れようが、そこから再出発すればいいんだよ!」
孝夫は自分も励ますように言った。
「そうよ、大学のことは卒業してからゆっくり考えても遅くないよ。私だって一年遅れだし……ところで兄さんは通信教育何時終わるの」
「さあ、五、六年かかるかな、ハハハハ、結局そうだよな。今からなんだ。急くことはない! 元気出せよ、佳ちゃん」
孝夫は、誰でもが戦争のお陰でひどい廻れ道をしているのだと思った。
「……う~ん……だけど……」
佳子はツッカケの足先を見詰めて黙っていた。
「ホラ、ホラ! 後片づけよ。幸代!」
母が呼び立てているのが聞こえた。
疑念を残して、二人は裏口へ去り、彼は南川内川の道に下りて行った。孝夫や幸代は二、三年遅れても学校が建てば卒業できると、簡単に割り切って考えていたが、実はもっと違った所に佳子の悩みはあったのだ。
小作人とはいえ、父母も孝夫も働き、田畑や山も持っている森村家と、未亡人で家を焼かれて何もかにも失い、八一歳のババさんと娘の三人で暮らすおばさんの家とでは比べようもないほどの段差があったのだ。
食べるものもない、学費の出どころもない、汽車賃もない。その日をやっと生きている三人であることを、孝夫にしても幸代にしてもどうして考え付かなかったのだろうか。
その日、雨がじとじと降り続き、田ははき切れずに畦からもあふれ落としていたし、南川内川の道にも所々に泥田のような水穴を作ったりしながら流れ下っていた。
佳子は暮れたそんな道を雨傘をさし勉強道具の入った手提げをぶら下げて孝夫の家に急いでいた。
孝夫の家の百メートルほど手前は、山裾になっていて、道を
萱などの長い草が覆い薄暗く、道の下は田んぼばかりで家一軒ないさびしいところだった。
その薄暗い道に懐中電灯も持たず破れた雨傘のなかに、母親と四、五歳ぐらいの女の子がぽぅと立っていた。
「今晩は」
挨拶してそのまま通り過ぎようとした佳子は、こんな暗い道で何をしているのだろうと不審に思い振り返ってみた。
見ると、母親は肩を小刻みに震わせ消え入るように泣いていて、女の子は「お腹すいたよ、お腹すいたよ」と、か細く繰り返しながら足を力なく踏みならして泣いていたのである。
「何をしているのですか」
近寄ってみると、その人は北川内の社宅の奥さんのような見覚えがあった。
「今日、あっちこっちのお百姓さんに食べ物がないか探して歩き回りました。だけど一軒も私が持ってきたものとは換えて貰えなくて……。もう日は暮れましたし帰らなければなりませんが、帰っても食べるものはないし、途方にくれて……」
佳子も、お粥を
啜ってきたばかりだから、どう慰めてよいやらわからなかった。
痩せこけた女の子は、ふらふらしていたが雨傘から滴る水を小さな手に受けて、チュゥチュゥと吸い始めた。
雨が激しくなってきた。
「あるかないか分かりませんけど、そこでは濡れますから兎に角、さあ、わたしと一緒に来てみてください」
佳子はこの話を兄ちゃんにしてみようと思い、女の子の痩せた細い手を握り、孝夫の家の石段を登って行った。
「兄ちゃん、いる?」
「うん、何しているんだ、早く上がれよ」
「ちょっと、来てよ」
「ああ? なんだ」
孝夫はやっと本から目を離し玄関に出てきた。
「兄ちゃん、聞いてよ」
孝夫の眼に、玄関の外に人が立っているのが見えた。
「うん、いいよ。入ってもらいなさい」
力なくすすり泣く女の姿が見えた。
「佳ちゃんどうしたんだい」
「うん、それがね……」
佳子まで涙を流しながら出会った時からの話をした。
黙って聞いていた孝夫は「佳ちゃん、お母さんば呼んできてくれんね。先隣りの中島さんにおらすケン」と、やさしく言いつけて「さあ、もう泣くのはやめて。うちも乏しいけど何かあるさ」と、元気づけた。
痩せた娘の子は不安そうに家の中をきょろきょろ見回している。
「なんていうの」
「タエコ」
「いくつ」
「五さい」
「よく答えたネ。カンコロ団子をあげようネ」
炊事場に入り、戸棚から大きなのを二つ持ってきて握らせた。
ひどく腹が空いていたとみえて、ものも云わずに直ぐかぶりついた。
その姿を見て、母親がまたぼろぼろ涙を落とし始めた。
その時、母が佳子と一緒に戻ってきた。
母は帰って来るなり、佳子を裏の小屋に走らせた。
佳子が袋に詰めて持ってきたカンコロを孝夫の母に手渡すと、そのままそれを女に差し出した。
「さあ、泣き止めなっせ、これば持っていきなっせ」
「佳ちゃん、炊事場に行ってカンコロ団子をあるだけ持ってこんね。また、今から炊いても、お父さんの帰らすとには間に合うじゃろケン」
女はびっくりして
「まあ、どうしましよう」と、言いながら急いで風呂敷を解いて衣類を出そうとした。
「私は、あんたが困っているから上げるとよ。換えるつもりならカンコロは渡せんよ。うちも足りんとばやるとじゃケンね。それはどこかに持って行って換えんナ。……バッテン腹の空けばほんなコテ、たまらんもんナ。さあ! ここで、この団子ば腹いっぱい食べて元気ばつけんナ。残ったとは持って帰らんネ。佳ちゃん、ホラ、皿ば二つ、持っておいで」
母は女の子をしげしげと見て「こんなに痩せて」と、つぶやいていた。
女はポロポロと涙を落しながら、娘が食べこぼしたものを拾ってやったりして、口を動かし続けていた。
その様子を見て、ひたひたと迫る飢えを、どうすることもできない切ない思いが三人を重苦しく包んでしまった。
「どんなに苦しゅなってん、
女子が頑張らにゃ全部が駄目になるとじゃケン。家ば支えるとは女子ですバイ。頑張ってみゅうで!」と、母は太い体をゆすって涙声で励ました。
その翌朝、昨日の親子が雨の中を訪ねてきた。
やせ細った手がやっと雨傘を支えているように見えた。
「私は、昨日、もう、生きていけないと思いました。毎日毎日、ろくに主人にも食べさせるものがなくて、済まなくて済まなくて。……子供からも、腹減ったよと泣きつかれどうしで……もう死んだ方が……。だけど、昨日のお話をお聞きして女は死んではいけない。親になった以上、女は最後まで生きて飢え死にしても、家族を支えなくてはと思い返しました。ありがとうございました」
心が飢えた体を支えた言葉であった。
「よかった! ああ、ほんに良かった。あんまりあんたが泣かすもんじゃケン、心配で心配で一睡もできんじゃったタイ。頭ばあげんね。こんな可愛い娘子のおらすとじゃケン。生きんば! ナ、生きんば! 時々は来てみればよか。困るときはお互い様タイ」
母はすぐおばさんを呼ぶと「小屋に行って芋ば持ってきてくれんね」と、言った。
「島村と申します。もう一人小学校に行っている男の子がおります」と、自己紹介をしてはじめて小さく笑った。
「近頃、遅配するのでお粥さんにいろいろ混ぜて食べさせているのですが、どうしても足りなくなります。買い出しに行ってもお金では売ってくれません。それで衣類で換えてもらっていたのですけど、今では、いいものでないと見向きもしていただきません。とうとう箪笥は空っぽになりました」
暗い悲惨な話であった。
孝夫はこうまで苦しめる社会の在り方に義憤を感ぜぬにはおられなかった。
一方には百姓たちのヤミ商売が巣くっている。
一方には死を
賭して飢えと戦っている。
こんな世の中というものがあってよいのだろうか。
何ともならないものを見詰めて孝夫の心はうめいていた。