第一章 ~虚脱から若者へ~ (4)




 あれから二週間が過ぎた。
 今晩も青年団の会合があった。
 山田京子も出席していた。中川さんがチラチラと目を走らせているのが見えた。
 京子の日焼けした顔とつぶらな黒い瞳はいつものように穏やかで八重歯がのぞいたりもしていた。
 孝夫はあの晩のことを思い出し、なぜ、京子の親は深追いもせず、家に引き込んだのだろうと解せぬものが残っていた。
 会合はいつもより早く十時には終わっていた。男の団員四人が今晩の掃除当番である。
 机、茶碗、灰皿などを所定の場所に置き、板張りを拭き、庭を掃き焼く。その間に北川内の女子はきゃあきゃあと騒ぎながら連れ立って帰って行った。
 南川内の女子団員は山田京子、青井絹子、藤田佳子の三人で、男は孝夫一人である。
 庭を掃いている孝夫のそばに三人が近寄ってきた。
 山田京子と青井絹子は十八歳、藤田佳子は、まだ十六歳で団員の中で一番若かった。
 絹子は夜道が怖くて友達の京子を誘って一緒に入団していた。
 絹子の家から川を隔てた谷向かいの家の佳子が、学校に行っていないのを知って、副団長に頼み込んで団員に押し込んだのも絹子であった。
 佳子はどこにいても人目を引く色白で端正な顔立ちだったが、瞳が穏やかでにこやかな視線が周りの人々を和ませてくれる。黒い髪を長く垂らして清純さが感じられる少女だった。
 佳子の母親は、小柄で、ややきびきびした感じは娘とは違っていたが整った顔のよく似た親子であった。
 十月の稲の取り入れの忙しい時から孝夫の家に加勢に来るようになり、佳子の母親は孝夫の母を「おっかさん、おっかさん」と、何かにつけて頼りにしていた。
 小さな同じ部落であり孝夫の母は佳子の母親が結婚する前をよく知っていたようであった。
 孝夫は佳子の母を「おばさん」と呼び、佳子は孝夫を「兄ちゃん」と勝手に呼んでいた。
 だから、孝夫たちとはまるで家族のようなものであった。
 佳子は、おばさんと戦死した夫との間にできた長崎の町育ちの一人娘であった。
 この母娘には八十になるお婆さんがいた。二人はこのお婆さんを「ババさん」と呼んでいた。
 このババさんの家は絹子の家の真向かいにある丘の中腹の雑木林にあった。
 幅、一メートル程の橋のない小川を渡り、泥が雨に流されて荒れた道を登り、行きどまりの小さな藁葺家(わらぶきや)に世捨て人のように一人で住んでいた。
 長崎から来た母娘は、この腰の曲がった小さなババさんの家に住み着いた。今年の九月に来たのだからピカ・ドンで家を失ったのであろうか。ババさんは佳子の実の祖母である。

 佳子が口を開いた。
 「兄ちゃん、(もみ)すり終わったの」
 「まぁだ、まぁだよ。まだ稲こぎの真っ最中だよ」
 「うちの母さんがね、加勢に行こうかって言ってるけど、よか?」
 「そりゃ丁度よかった。そぎゃンこと言わんでん、サッサと来ればよかったい。母さんが女子手の足らんと、今日もグチばこぼしよらしたバイ」
 「いいわ、言うとく。うちも来るかもしれん」
 「うん、来んね」二人の会話はいつもぶっきらぼうだ。
 南川内の三人は「さよなら」というと、石段を下りて行った。

 孝夫は竹箒(たけぼうき)を握り直した。
 「そこの落ち葉はここに集めろ。燃やそう……」と、庭の中央の燃えカスの残る黒ずんだ跡を中川さんが箒の先で指した。
 落ち葉に火がつくと、四人の姿が火の勢いにつれて、炎の色に浮き出たり沈んだりした。
 もう秋の冷気が雑木林から這い上がってきていたが、温もってくると、自然にコメの話などに口がほぐれていった。
 今年は天候不順で収穫が少ないだろう、全国的にも三分の二ぐらいに落ち込むんじゃないかとか、町の人が衣類などを持って買い出しに来るとか、サツマイモの話とか、話題は尽きなかった。
 話をしているうちに火は小さくなり燃え尽きると水をかけた。

 中川さんは消えるのを待ちかねたように
 「じゃ、行くか」と、この前通った道をスタスタと歩き、京子の角の石垣につくと
 「川島君、そこの水に手拭を濡らしてこい」と、言った。
 道の横に、せせらぎの音が聞こえていた。
 「この前、失敗したからな」と、独り言をつぶやき、そこから忍び足になった。
 孝夫は石垣に身を寄せて動かなかった。こんなことが苦手な性質がいつも災いする。三人は孝夫を諦めて、黙って行動に移った。
 中川さんは京子の部屋をこの前確かめていたのか、雨戸に耳を寄せて内の様子をしばらく聞いていた。
 谷山と川島は息を殺し中川さんの様子をうかがっていたが、中川さんの懐中電灯の光が上にあがると、雨戸の溝に濡らしてきていた手拭を静かに絞った。
 音もなく雨戸を半分ほど開けると、中川さんはするりと内に入った。
 そして、もう一度身を乗り出し、二人に「去れ」と、言うように懐中電灯を横に振った。
 谷山と川島は孝夫のいる石垣に来ると溜息をついた。


 孝夫たちには、中川さんが雨戸から入ってからどうしたのかを想像していた。ずいぶん時間がたったように思えた。


 中川は障子を開けようとして音がするので耳を澄まし少しずつ用心しながら開けていった。
 この時間が一番長く感じられた。
 懐中電灯の弱い光が、京子の布団や小さな箪笥(たんす)や机、読みかけた薄い本などを照らし出した。
 電灯をつけたまま布団とは反対向きに敷居際(しきいぎわ)の畳に置いた。それでも八畳の室内はほんのり明るかった。
 中川は震えながら京子の布団ににじり寄り、寝顔をじっと見つめていた。
 こんなに間近に顔を見るのは初めてであった。かすかな息遣いがする。
 その時、寝息が止まり「う、うん」と、うめいて、腕を頭の横に布団から出して伸ばした。
 彼はあわてて少しにじり下がった。それがよかった。手が触るところだった。彼の胸ははち切れんばかりに高鳴った。
 じっとしていると、彼女の寝息は元に戻った。
 彼はもう一度にじり寄った。
 彼女が腕を伸ばした拍子に蒲団がはだけていた。そして、そこから乳房をかたどったシュミーズの胸が息づいていた。
 彼は震える手を膨らんだ乳房の上に、そっと置いてみた。
 しばらく置いてから、作業服の内ポケットから封筒を出し、(しわ)を伸ばして乳房の谷間に静かに置いた。
 恋していることを精一杯書いたつもりだった。
 彼女は深く静かに眠っていた。


 中川さんが孝夫たちのいる石垣のところに戻ってきた。
 「どうでした?」
 「よう、寝とった」
 「何かしてきましたか」
 「うん、紙を置いてきた」
 「どこに?」
 「あそこさ」
 「あそこってどこです」
 「うるさいな、あそこはあそこたい」
 「教えていいじゃないですか」
 「あそこはあそこたい。女の大事なとこ」
 谷山と川島は勝手にみだらな想像をして、引きつるような声を出した。
 「女のあそこだ! うわぁ! 見たかった」
 「太か声ば出すな。シー」

 奈良時代の万葉集の名歌にも多く載せられているし、平安時代の紫式部の源氏物語の名場面は男が、女の寝所に夜な夜な通う情景が当然のように奥ゆかしく書かれている。
 千年も昔から、男が夜に女のところに通うのは当然なことだったのだ。
 それがいつの時代からか嫁入り婚が支配して、いかにも不道徳なものと夜バイを卑しめたのだ。
 この村には、どこの部落にも夜バイの習慣は残っていた。
 あの時、怒鳴った親が深追いせず黙って家に入ったのはうなずけるし、そのことを知る親でもあったのだろう。
 孝夫は三人の話を聞いていたが「もう、帰ります」と、言うと、暗い南川内をめがけて一目散に駈け出していた。


 次の週も会合は開かれていた。
 中川さんと京子の噂が広がった。
 その団員の(かたまり)の中心に谷山がいたり川島がいたりした。
 (そりゃ絶対だよ。京子のあそこに挟んだことは間違いなか!)
 断定する谷山たちに、一座の輪は小さくなり妙な真剣さが漂っていた。



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