第四章 ~団結した力~ (2)
孝夫と佳子は久しぶりに、父のあとについて野岳に登ってきた。
草原は、炭焼き窯と貯蔵兼作業小屋を除けば一面の薩摩芋畑になっている。
窯の煙突からは煙が立ち上り、炭焼き特有の匂いが辺り一面に漂い鼻をつく。
芋畑の周りは雑木林に囲まれ、北側の一角だけは林が切れ、芋畑に続く草原が野岳の巨岩に通じて眺望がひらけている。
「壮観だよナ!」
「ほんと、すごかよ!兄ちゃん」
梅雨前の草原開拓のことを思い出して、二人は感慨深く見入っていた。
そこに父がやってきて、兎に土を蹴り荒らされ、葉が枯れている畦を指差した。
「ありゃ!」
「ここもだ」
「ほんなコテ」
「あらっ! ここもよ、おじさん」
「こりゃいかん、罠ば兎の道に仕掛けんとナ」
「バッテン、かわいそかね」
「仕方なかタイ、佳子さん。みんなで作ったもんば兎に喰われてしもうたら、人間の方がかわいそかろモン」
「は、はい」
雑木林に入り、木の下の草をよく見ると、草や小枝が折り曲り、小さなトンネル型の兎道が通っていた。
そこの手頃な木を折り曲げてバネをつくり針金で括ったりして、三か所に罠を作った。案外時間がかかり終わったのは三時過ぎていた。
終わったのち、父は炭焼き小屋に行き、二人は薩摩芋の葉を持ち上げ草取りの仕事を始めた。
今日は、今にも降り出しそうな空模様であったが、どうにか持ちこたえているものの、秋というのに、湿った風が芋の葉を撫でていた。
芋の茎は勢いよく伸び、葉も濃禄となって土を覆っている。
ためしに鍬を入れてみると、まだ細長くはあるが、毛根がしっかりつき収穫を約束してくれている。
「採れるぞ! 間違いナカ」
「まだ、小さかネ」
「十月タイね。いや、末か」
「まだ、一か月もせんばね」
そんな話をしながら芋の畦の間を進んで行くと、キョキョキョと、鶏のような鳴き声が聞こえた。
「兄ちゃん、鶏のおるバイ」
「声ば出すな、雉タイ。よし、そろっと行くぞ」
二人は芋の葉に身を沈めながら近づいて行った。
そこは雑木林に入って、木と木の間の少し窪んだ一mばかりの円状に枯れ葉が敷かれた中であった。
雉の雄と雌が寄り添っているのが見えた。
孝夫が指さすと佳子がそっと近寄り、孝夫の肩越しに首をもたげて覗き込んだ。
佳子の長い髪が、孝夫の首筋に触れて揺れ、息が掠めて孝夫に聞こえた。
「このバカ」
孝夫はつぶやくように云って右手の指でそっと払ったが、また元の様に揺れていた。
雌のふんわりした細かな灰褐色の羽毛が円く
蹲ってじっとしている。
雄は紅色と褐色を織り交ぜた羽をしていて大きく、尾は銀色じみて細長く輝くように美しい。
キョキョキョ、雄が
嘴を向けて雌に話しかけている。
「兄ちゃん、もう少し、そっと、見とこ」
「うん」
「フフフフ、ああ、仲の良さ」
しばらくそのままにしていて、佳子は悪さをした時の子供のように頬を紅く染めて孝夫にほほ笑んだ。
邪魔をしないように雉のそばから後ずさりして、ゆっくり立ち上がった。
周りは日が陰り、雑木林の奥が、まるで、バックを薄黒く塗った画布に描かれた木立のように見えていた。
草原の先に見える野岳の巨岩は、横肌に灌木を茂らせ、永劫への姿を、雲間を漏れてきた茜色の空に聳え立っていた。
野良着姿で、一面の薩摩芋畑に立っている孝夫の脳裡には、暮色に誘われたように、この村に帰ってからの一年が走馬灯の様に映しだされていた。
しかし、それらの全てが、片田舎に暮らしているせいか、索漠とした心の内側を見ているように思えて仕方なかった。
この時、北の山なみを覆っている雲の層を突き破るように、長崎三菱造船所のサイレンがいつもより高く響くのが聞こえてきた。
ふと、佳子の方を見返すと、その高い響きに、はっとしたように恐怖の色を走らせて顔を強張らせ屈みこんで耳を覆った。
強張らせていた顔が、すこしずつ悲しみを帯びた表情に変わっていった。
そして、佳子がその場に倒れた。
孝夫はびっくりして「おい! 佳ちゃん、どうした! 大丈夫か!」と、叫びながら、走っていって抱き起した。
「父さん! 早よう、来てくれんね! 佳子が倒れた!」
父が炭焼き小屋から走り出てきて
「こりゃ、いかんバイ! 熱があるぞ! サイレンは鳴ったし、このまま、背負って帰ろう」
「よし、おれが背負う」
孝夫は急な崖道を用心しながら、やっとの思いで下り半時間もかかって佳子の家に担ぎ込んだ。
ところが佳子は二日もしたら「おじさん、迷惑かけました」と、けろっとした顔で父に笑い掛けていた。
「ありゃ、ヤッパ、若っか者には病気も敵わんと見ゆる、早よう良くなってよかった!」
父はうれしそうな顔で佳子を見ていたが、孝夫も口には出さなかったが嬉しかった。